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禅における心の探求

(著.中祖一誠)
 

  禅とは何かという問いに答えることはなかなか難しいことです。古くから禅について「不立文字」とか言詮不及」?「以心伝心」といったことばがいわれております。これらのことばは、禅の心髄がとうていことばで伝えることができない、みずからの体験を通してはじめてその核心をつかむことができるのだと言っているのです。しかし、ことばの及ばない世界だといって沈黙を守っているだけでは、禅はいつまでもわたくしたちの視野に入ってまいりません。やはり、何らかの方法でそれにアプローチしなければなりません。事実、中国の禅の巨匠たちはおびただしい禅の指南書(語録といっています)を著わしました。


  禅はもともと古代インドに興った行法にその起源をもちます。紀元前10世紀ごろから、バラモン教の僧たちや沙門(しゃもん)と称される修行者たちは思索を深め、深遠な哲理を探究していきました。このような傾向にはおそらくインドの苛酷な暑さが強くはたらいたと思われます。こんもりとした森林の大樹のもとで瞑想に耽り、精神続一のてだてをしだいに整備して、一つの行法として確立してまいります。これがヨーガといわれているもので、現在の日本においてもなかなか盛んです。それは大体、紀元前5〜6世紀ごろには体系が整えられたと考えられます。禅はこのヨーガの行法をもとにして生まれたわけです。このことばは、古代インド語であるサンスクリット語の「ディヤーナ」、あるいは当時の俗語の「ジャーナ」の音を漢字に写した、いわゆる音写語です。ディヤーナ(禅)はさきにいいましたヨーガと同じく、心を静めて瞑想することを意味しております。中国の禅僧たちは「禅定」(ぜんじょう)、「思惟修」(しゆいしゅ)、「評慮」(じょうりょ)などと訳しました。当時の瞑想にもいろいろの種類がありまして高度な精神的境地をめざすものから、超自然的な能力の獲得や健康法?長寿を目的とするものなどもあったようです。おおざっぱに申しまして、ヨーガは行法のもたらす効果に重点をおき、それに対して禅は心の自由な活動を実現することに眼目をおいているということができます。


  菩提樹のもとでこの禅の真髄に到達した釈尊の教えは、時代の推移とともに、さまざまな教学を生みだしましたが、とくに釈尊の禅体験を基調とする独立した一つの系統を禅宗と称して、中国の唐代に完成されることになります。その禅宗の開祖として菩提達磨が出てまいります。かれの伝記には伝説的な要素が含まれ、確かなことは分かりませんが、南インドに生まれ、6世紀初頭、中国に渡来して禅の教えを鼓吹したといわれます。8世紀の禅の史書(『歴代法宝記』西暦774)の中に達磨を初祖とする禅の系譜が述べられています。その達磨と弟子の慧可(えか)との対話をとりあげてみようと思います。若いころ儒学や老荘の教えを学び、論書を読んで達磨にまみえた慧可との山会いはやがて禅の伝統の礎(いしずえ)となります。そのときの問答の内容はつぎのようなものでした。達磨に対した弟子は、「わたしの心が不安でなりません。どうか安心(あんじん)を与えてください」と懇願します。師は、「その心をもってこい」と告げます。弟子は、「心を覓(もと)むるについに不可得なり」と答えます。すかさず師は、「汝のために、すでに安心を与えおわった」といいきります。心は常に動いて止むことがありません。その心を取りだして差しだすことはできません。不安だ、やりきれないなどといっているのは心の迷いであり、妄想であるというのです。さまざまな想いはもとからあるわけではない、わたくしたちが勝手に作りあげて、それに執われているにすぎないということを達磨は教えているのだと思います。心は本来とくべつな相をもっていないのです。この「心不可得」のテーマは、たんに禅の課題であるだけでなく同時に人間一般の普遍的な課題でもあります。
 

 

  時代はそれからずっと降りますが、唐代の徳山宣鑑(とくさんせんかん)と一老婆との問答もよく知られています。現在でも禅宗の寺院で盛んに読まれております経典の一つに、『金剛般若経』と称されるものがあります。これは、大乗仏教の空の思想を躍動的に展開している有名なものです。そのなかに、「過去心不可得、現在心不可得、未来心不可得」ということばが出てまいります。日ごろ経典の読誦?解釈に没頭していた徳山が、当時南方で禅の教えがはやっていることを聞いて、経典を軽蔑して勝手ほうだいな法螺(ほら)を吹いている禅の教えを折伏しようと思って、両肩に『金剛経』を背負って南方に降っていきました。途中、州(れいしゅう)というところの茶店で点心(てんじん)を摂ります。これは軽い食事のことですが、おなかが空いていたので飢えを充たすつもりでこの茶店に立ち寄ったわけです。そこのお婆さんは禅の素養があったとみえて、この雲水に、さきに言いました金剛経のことばの「過去心不可得、現在心不可得、未来心不可得」を突きつけて、どの心でもって点ずるのかと問い詰めます。つまり、どの心で食事をするのか(点心)と詰め寄ります。徳山はついに一言も答えることができず、この老婆の前にかぶとを脱いで、禅の教えに参じ、後に唐代の禅僧として大成したといわれます。
 

  この話もなかなかに出来すぎており、皆様もお疑いになることでしょう。しかし、禅の立場と申しますか、仏教の側からいいますと、これが史実であるかどうかということは必ずしも重要ではありません。むしろ、このようなかたちで心のあり方が真剣に修行の課題とされていたという事実の方が意味をもっています。さきに申しました禅の指南書の中にこれに類した話が無数にでてまいります。心がことばや理屈ではとらえられないという認識は、このように仏教ないし禅の中で、早くできあがっておりました。
 

 

  ところが、仏教の生まれたインドにおいても、ちがったかたちで心の問題は僧たちのあいだで関心を集めていました。中国人とちがって、インド人はたいへん理論的で思索的傾向をもっております。さきに挙げましたヨーガでも詳しく考察されております。仏教もヨーガの土壌で育ったのですから同様です。紀元1世紀以降、大乗経典と総称される新しい経典群が成立いたします。その中に、『華厳経』(けごんきょう)と呼ばれる経典があります。この経典は、釈尊の悟りの内容を説き明かしたものであり、釈尊の悟りの世界〈蓮華蔵世界〉の荘厳なさまを雄大に描いております。その中に、「三界唯心」ということがでてまいります。「三界は虚妄(こもう)にして、ただ一心の作(さ)なり」ということばは有名です。すべては実在ではなく、ただ心のなせるわざだといっております。このような伝統はその後断えることなく承けつがれてまいりますが、とりわけ体系的に9M;!$5$l$k$N$O!"4〜5世紀ごろにあらわれる唯識と称される学問体系です。この体系は、さきの華厳経の「三界唯心」の教えを基本にして一層綿密な分析的考察を深めていきます。
 

 

  われわれの意識の表層を構成している心の様態〈現行識〉を眼?耳?鼻?舌?身?意の六識でまとめ、さらにその下層に末那識(マナ識)〈自我意識〉と阿頼耶識(アーヤラ識)〈根源識〉という深層の心の様態を想定いたします。マナ識というのはあらゆるものを自己のものとして取りこむ傾向性であり、われわれを六誠の対象に執着させるもとになるものです。これによってわれわれは無限の苦の世界に縛られ、いわゆる輪廻の中に生きることを余儀なくさせられます。唯識説では、その背後にさらにアーラヤ識というわれわれのあらゆる経験の貯蔵庫(アーラヤとは蔵という意味です)を考えます。ちょうど宇宙におけるブラックホールのように、すべての経験を余すことなく飲みこんでしまうわけです。これは現在の生涯だけでなく、無限の過去からのすべての経験を収納しています。そして、このアーラヤ識は、また現在の六識の活動の原因となって、結果としての迷い、苦しみの世界を絶えず生みだしていきます。このように、われわれの潜在意識としてのアーラヤ識と我執としてのマナ識とを背後に背負ってわれわれは生きていることになります。これだけで終るならば、唯識説はわたくしたちに何の意義も与えないことになります。唯識説はアー%i%d<1$,$=$N$^$^$N>uBV$G$"$jB3$1$k$3$H$rE>49$7$F!"$^$C$?$/JL$N>uBV!"$9$J$o$A!VCR!W$K$a$6$a$k$3$H!!!RE><1F@CR!S$r@b$-$^$9!#$3$N6-CO$OJ)$N?4$HA4$/F1$8$G$9!#$3$l$O=>Mh$N$5$^$6$^$J7P83$,L5$K5"$9$k$3$H$G$O$J$/!"$=$l$>$l$NO;<1$O$=$NBP>]$r$H$i$($J$,$i$bB+G{$5$l$k$3$H$,$J$$6-CO$K$"$k$o$1$G$9!#L5CN$NCN?無作の作というようなことばがいわれるのはこのような境地をいっております。しかし、このような転換がいかにして可能になるのか、そのためには、冒頭に申しました禅定の実践、訓練が要請されることになます。このことが大変重要でありまして、ここまでのことを含んでいるのが唯識説であります。唯識説の心のとらえ方は、ちょうど海面に浮ぶ氷山のように、海面上の氷山の一角の下層に、十倍する巨大な氷塊を予想しています。とにかくこのような心の構造の考察と瞑想〈禅定〉を通して、果てしない行為の影響力〈業〉を断ちきり、心の本来のあり方を実現しようとする理論です。
 

 

  外界とわたしという二元的な区別は人類精神史の出発点からあったと思われます。「わたしはAを見る」という一般的な分節を例として考えてみますと、主体としての「わたし」と知覚作用としての「見る」というはたらきと対象としての「A」とに分けられます。「A」は物理的対象であることもあれば、幻影?観念のような心的対象であることもありますが、いずれの場合もわたしの知覚の対象として存在する限り、わたしの知覚を通して存在するわけです。たとえば「風が吹く」という場合、図式的にいえば、〈わたしが-感じる-吹く風〉になるわけですが、風がまず存在してそれが吹くということではありません。吹かない風は考えることはできません。「風が吹く」という不可分の事実だけです。達磨と慧可の対話にでてまいりました「心が不安でなりません。安心を与えて下さい」ということばでも同じです。不安である心などはどこにもない、あるのは慧可が不安であるという亭実だけです。つまり、〈わたしが(主観)-見る(知覚作用)-A(客観)〉ではなく、〈(わたしに)見られているA〉という図式の方が実際に合っているでしょう。
 

 

  このような心の考察は、もちろん仏教や禅?唯識説に限られるものではありません。西欧の心理学や精神分析学の研究にも認められます。たまたま手元にありますクレッチマーの『医学的心理学』をみますと、その冒頭につぎのようなことが書いてあります。「直接体験を名づけて心と呼ぶ。心とは感覚されたもの、知覚されたもの、表象されたもののすべてである。例えば一本の木やある音や太陽も、それらが木という知覚、太陽という表象として認められている限りは、やはり心を意味している。心は体験からなった世界である」。心理学に不案内であるわたしには、クレッチマーの主張をどう評価すべきかは分かりません。ただ、かれのとらえる心の本質が禅?唯識説の心のとらえ方とよく似通つていることに興味をもちます。明確にちがう点は、唯識では禅定という「行」が基盤になっている点です。
 

 

  精神の科学が、進歩というか、単に客観的考察の地平を越えて新しい展望をめざそうとすると、心身一如的な視点を求めていくことが必要になるようにわたしには思われます。しかし、科学の立場からは、科学の名において、いっきに飛躍するわけにはいかないでしょう。しかし、禅?唯識説のような宗教の側からの心の考察を、領域の異なる全く別の世界のことがらとして無関心でありつづけることには疑問が残ります。新しい地平を求めて接点を探ることが必要となることでしょう。

 

  その意味から、道元禅師の説かれる「仏道をならうというは、自己をならうなり。自己をならうというは、自己をわするるなり。自己をわするるというは、万法(まんぼう)に証せらるるなり」ということばをじっくり味わってみる必要があります。

 
 

   
 

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